Overview
夜の世界をのぞき⾒するドキュメンタリー番組「Night title(ナイトタイトル)」にて、スポットが当てられた⿊服4名のうちの⼀⼈、下川政樹さん。「仕事ができそう!」「タダ者ではなさそう!」と話題にもなった最年⻑。そんな下川政樹さんを深掘りしていきます!
「Night title(ナイトタイトル)」は、YouTuberのヒカルさんと、格闘家の朝倉未来さんが⼿掛ける起業リアリティーショー「Nontitle(ノンタイトル)〜この1000万、あなたならどう使う? 」の夜の世界版として新しく始まりました。
FABRIC六本⽊の2号店でもあるFABRIC LOUNGE ROPPONGI 7の⿊服の活躍にスポットを当てたドキュメンタリー番組で、ナイトシーンに⽣きる人たちや、多様な業態の裏側に迫り、普段知ることのできない夜の世界のリアルを映し出していきます。
熊本県で生まれた下川さんは転勤族だったようで、熊本から大阪、大阪から福岡と転々としておりました。8歳の時に福岡へきたそうです。
兄弟は6個上のお姉さんがいるそうで、有名なヤンキー姉だったそう。当時は苦手意識があり、幼少期はよくボコボコにされていたと話していました。
そんな下川さんは小学校の頃から野球をやっていたそうで、雨の日でも外で遊ぶ、とにかくわんぱくな子だったそう。中学生時代も野球しつつ、先輩たちと四六時中遊ぶように。学校は行かない理由を勝手につけて行かず、先輩に車に乗せてもらったりバイクに乗せてもらったり。そして16歳からバイトを初め、そこからは1度もニート期間はなく、ずっと働き続けてきたと話していただきました。
中学卒業後、すぐに働き始めたそう。17歳の頃、地元で“カリスマショップ”と呼ばれていた輸入アパレル店で働くことになり、接客の面白さにのめり込んでいきました。
その後、勤めていた会社がキャバクラ事業を始めることになり、21歳で夜職の世界に足を踏み入れます。昼はアパレル、夜はお店という二足のわらじ生活を送りながら、夜の世界への興味を深めていきました。
「もともと自分の店を持ちたいという想いはずっとあった」と語る下川さんは、24歳のときに車を売って資金をつくり、先輩たちのサポートも得て、カウンター7席の小さなバーを地元にオープン。それが自身にとって“お店人生”の第一歩になったようです。
その後の30代は、まさに“挑戦と拡張”の連続。バー、飲み屋、スナック、ミニクラブなど、業態を問わず出店を繰り返し、ときには店舗を移転・拡大しながら、新たな事業にも次々と取り組んでいき、大小あわせて12〜13店舗を展開してきました。「原動力はいつもシンプルで、やりたいからやる。それだけです」と語る下川さんだが、無計画な拡大ではありませんでした。たとえばガールズバーを出した際には、そのすぐ近くに立ち飲み屋を出店。若い世代のアルバイトを確保しやすいよう、商圏内での動線づくりにも常に工夫を重ね、すべては自分が信じる“楽しいこと”を形にするための、地に足のついた試行錯誤だったそう。
「正直、自分は生え抜きでもないし、特別なスキルを持っているわけでもない」と語る一方で、これまで地方で12〜13店舗を立ち上げ、運営してきた実績と、常に“現場主義”で熱量を持って取り組んできたことには確かな自信があると語っていました。 社内外から「これまでのFABRICにはいなかったタイプ」と言われることも多く、それが新しい風として期待されている理由かもしれない。 「技術よりも、気持ちでやってきました。もちろんそれだけじゃダメですが、一生懸命やるというスタンスだけはずっと軸に持ち、自分の色を出していきたいです」と、穏やかな口調で語っていただきました。
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